2008年07月08日

建築探訪記・その④

陰翳礼讃/皆河の千年屋 その3/4 -ダイドコロ-





北側にはダイドコロが続き
囲炉裏が切ってあります


西側には納戸が続きます
床はなんと
竹の簀の子(すのこ)が敷かれています
その上に筵(むしろ)を敷いて座っていたようですね


隣りの土間には竈(くど、おくどさん)が設けられています


北面には板で造られた流しと水を貯めていた甕(かめ)が見えます


時の蓄積を感じる土間がとても印象的でした

次はディテールへ続く・・・

ほな

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Posted by 水鏡サ at 10:28Comments(2)設計NOTE

2008年07月08日

建築探訪記・その③

陰翳礼讃/皆河の千年屋 その2/4 -表の間-

室内に入ると冷んやりとした空気が気持ちよい
玄関土間左手が表の間である


現在のように別だって床の間を設けていない
広さは12帖である


見返し
玄関土間の向こう側は厩(うまや)である


床板の漣模様は『ちょうな』で木造りした痕であり
意匠として模様をつけたのではありません

現在のような道具が無かった時代なので
材木の生産方法は山で樹を斧(よき、おの)で切り倒し
木口から楔(くさび)を打ち込み木を割って製材していました
中世に入ってから大鋸(おが)が広まり木挽き職人が木を挽いて製材していました
(現在では東京の木場の林似一さんが有名です→木挽きの林組HP
製材された材木を大工が加工して家に組上げるのですが
材木表面の仕上げは現在のような台付鉋(だいつきかんな)はモチロン、槍鉋(やりかんな)もなく・・・
釿(ちょうな、ちょんな)でトントン・・・と削る(はつる)って仕上ていました
その痕がさざなみ模様に浮かび上がっているのですね

この辺りの技術的なことは竹中大工道具館のHPが詳しいです

釿は竹中工務店のHPへドーゾ


低い軒先に視線が遮られ、陰に額縁されて風景が絵画のように見える


さて、次は畳
奈良時代には薦(こも)や筵(むしろ)のような畳が使用されていました
平安時代から現時の形状の畳が使用され
権力の象徴として貴族の邸宅の所々に置かれるようになりました
室町時代になると部屋全体に畳が敷きつめられるようになり
客をもてなす座具から建物の床材として浸透していったのです
*以上、大広畳店のHPより
この家では敷かれていたのでしょうか?
南側の障子から半間入った位置に独立柱が建っています
畳を敷くにはコレが邪魔になり敷居を入れると思うのですが
その痕跡も見当たりませんし
鴨居も無いようです
だから、ゴザか筵を敷いていたのではないでしょうか?キョロキョロ

次は『だいどころ』へ続く・・・

ほな

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Posted by 水鏡サ at 10:16Comments(2)設計NOTE

2008年07月08日

建築探訪記・その②

陰翳礼讃/皆河の千年屋 その1/4

揖保川本流のひとつ東の谷
鹿ケ壷から流れる林田川の皆河(みなご)に
古井家千年屋がある

女房とココでデートした事があったっけ。。。暗~ウトウト



さて
今では姫路市が所有しており
土日に限り見学が出来ます
平日でも10名以上の場合
予約すれば公開してくれます

起源や歴史的価値については
看板を参照していただきましょOK




外観で印象的なのはその軒の低さとそれによって生じる陰翳の深さですね
右の格子窓部分はお風呂の出っ張りです


柳田國男生家のように縁側がなく濡れ縁がその役を果たしています


茅葺屋根は勾配が急なので必然的に軒先が低くなります


玄関左手にあるお風呂の焚口です
煙突がないので、お風呂では煙たかったのじゃないかと想像します


これはお便所ではありません
台所の流しからの排水を受ける桶が地中に埋め込まれています
ここに貯まった水は地中に浸透させたか、それとも畑に撒いたかのどちらかでしょうね(タブン…)
お便所は玄関の右手にありコレと同様に地中に桶が埋め込まれ
踏み板が2枚渡してありました

以下
2/4―表の間
3/4―台所
4/4―ディテール
と、報告は続きます・・・

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Posted by 水鏡サ at 09:05Comments(0)設計NOTE

2008年07月07日

建築探訪記・その①

打ち合せの時間に余裕があったので
福崎町にある
柳田國男の生まれた家を見に行く事にした
柳田國男は福崎町出身で日本民族学を創始された方です



生家は
桁行四間、梁間三間の茅葺屋根に瓦葺きの下屋が取り付いています
間取りは播州地方の典型的な田の字型間取りで
表の間と納戸が4帖半
次の間とダイドコ(食事する部屋)が3帖
の小さな家です



大学時代に古建築の調査として
実測させてもらった事があります
ココを選んだのはミニマムな建物なので。。。
調査がラクチンだろうと。。。アセアセ

室内は撮影禁止なので
外部からの写真ばかりです


縁側から表の間方向



玄関土間



縁側から
部屋としてはココに見えるのが全てです
國男は8人兄弟だったそうです
どこでどうやって寝てたのかな?

國男は「私の家は日本一小さい家だ。この家の小ささという運命から、私の民俗学への志を発したといってよい」といわれています。

現在の住宅を振り返ると
逆にイロイロ考えさせられる事があります


土間にある『おくどさん』です



障子と襖
奥に揺らめく緑の陰がきれいでした

詳しくは福崎町のHPへGO!

サア、今から打ち合わせに行くべ!

ほな

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Posted by 水鏡サ at 18:56Comments(0)設計NOTE

2008年07月02日

版築

フト
見つけた版築(はんちく)の小屋



土と石灰、藁スサだけで壁を作ります
型枠を拵えて、土を入れタコで
タコ:丸太の切株に柄を付けた道具
トントンと突き固めながら少しずつ高くしていきます
まさに“築造”する感じですね


壁にあいた小さな穴は型枠を固定する横棒の跡です



版築の表面には壁土を塗って風雨から保護します
上のほうに壁土と藁スサが残っていますね



壁の上には小屋組みを載せて
屋根を葺きます

中国では一般的な工法ですが
日本では稀に見られる程度です
エコロジーな工法なので最近注目を集めているようです

詳しくはWikipediaへGO!

★写真ばかりでなく
チャンと仕事もしております、アハハ!

ほな

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タグ :版築
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Posted by 水鏡サ at 19:32Comments(2)設計NOTE